ハンガリー地方都市での宿探し 

お盆のハンガリー旅行、何故か今頃になって宿を取っています。

今回初めて行くセゲド、どこをどうしていいのかよくわからず、ちょっと迷った。
基本的にホテルよりアパートやホステルが好みなので、世界中のホステルやアパートを扱う

hostelbooker

で検索。ロンドン、ペーチ(ハンガリー)、スプリット(クロアチア)などでお世話になったところだが・・・・。セゲドはないのですか・・・!

仕方なく、

セゲド市の公式ページ

からホテルリストを見て、良さそうなホテルに問い合わせてみる。

Hotel Korona

ちょっと高いけど、たまのことだしいいか・・・・と思って問い合わせをしてみたが、1ヶ月経っても返事なし。どういうこっちゃ・・・。結局今になって他を探すことに。

日本語で、ハンガリー国内のホテル予約を扱うサイトを発見。

hoteltelnet

セゲドでは値段的にも立地的にも
City Hotel Szeged
が良さそうだったけど、8月15〜17日はいっぱいのよう。Koronaの返事待ってないで早く予約すれば良かったかも・・・・。

セゲドのホテルを専門的に扱うサイトも発見。
Hotels in Szeged
リンクは世界中のホテルサイトにつながっているので便利。

結局、空室状況や立地などから、
Tisza Hotel Sport
に。本当はティサ川左岸が良かったんだけど・・・。

あ、調べるだけ調べて予約の方はいつも使い慣れている
HRS
でしました。
って、最初からHRSで取れば良かったはずだけど、先月調べた時はセゲドのホテルが全然出なかったので・・・。

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ジーザス・クライスト=スーパースターエルサレム版+ハンガリー版語り 

6月28日 13:00〜 大阪四季劇場

ジーザス: 金田 俊秀
ユダ: 金森 勝
マリア: 高木 美果
カヤパ: 金本 和起
アンナス: 古賀 陶馬ワイス
シモン: 本城 裕二
ペテロ: 飯田 達郎
ピラト: 青井 緑平
ヘロデ王: 星野 光一

去年冬の尼崎公演岸和田公演と同じようなキャストでのエルサレム版。

見に行って良かった。

金森ユダの壊れっぷり・熱愛っぷりはいつもの通り。期待とおり。これがなくっちゃ始まらない(笑)。歌もちょっとだけ(笑)上手くなっていた。あのしゃがれた声でピクピク震えながら歌っているユダを見ると「はあ〜〜〜帰ってきた〜〜」(どこに?)という感じがする。ほんま好きです。いくらでも語れます(笑)。でも、予想通り期待通りなので、まだあまり正体の掴み切れていない金田ジーザスの方をじっくり観察。

前から4列目なので、オペラグラスを使う必要はないのだが、表情を細かく見るために、時々使用。

前回初めて金田ジーザスを見た時、「醒めている」という印象が強かった。淡々としすぎていて、若干物足りなく感じたが、今回見ると、そういうジーザスとしての世界を確立してきたようで、前回よりも満足度が高かった。

ジャポネスク版では般若メイクで気づかなかったが、かなり端正な顔立ちをしている。が、その端正さがどこか冷たい印象を与える。やっぱりどう捉えていいかわからない冷たさだ。

しかし、ゲツセマネの場面は、私の大好きな柳瀬ジーザスにも勝るとも劣らぬインパクトがあった。この場面は神に「何故私が死ぬのか」「何故」と血を吐くように問いかけ、苦悶の果てに「いいだろう、死のう」と運命を受け入れるのだが、金田ジーザスを見ていると、「いいだろう、死のう」という答えは始めから出ているような印象を受けた。揺らぎのない声。真っすぐに一点を見つめる目。彼の「何故だ」は神への抗議でも問いかけでもなく、高らかな宣言のように思う。
「こうして私は死んでいく。見ておけ」のような。

ユダに対しても相変わらず冷たいのだが、それはユダを理解できないからではなく、理解した上でさらにそれを超越した境地にあるのかもしれない。うん、何か前回より断然深かった。歌唱力のある人なんで、楽しみだとは思っていたけど、予想以上。

今日が大阪の楽日だったけど、もう一度くらい見ておけば良かったなあ・・・。また来年あたり関西に来ますように。

さて、ジーザス語りのついでにハンガリー版のことでも。
最近やっていないけど、ブダペストにロック劇場があった頃は、Sasvári Sándorがジーザスを演じていたよう。CDも出ているのでお薦めです♪さらに、ペーチでHomonnay Zsolt主演でやってたこともあるらしい!Zsoltiがジーザス!駄目だ、笑えてしまう。。。

そういえば、こんなコンサート映像がありました。
ジーザス:Homonnay Zsolt
ユダ:Nagy Sándor
マリア:Janza Kata

やけに強そうなマリアになでなでされてるジーザスが笑えます。Zsoltiはこのときはあまり声が出てない感じだけど、実際はあの通り歌える人なんでみてみたかったなあ。それよりなにより、Nagy Sanyiのユダですよ・・・!こ・・・濃ゆい・・・!いや、何やっても濃い人だけど、あの絡みつくような声と目線でユダを演じたらハマりすぎでしょう・・・!マダーチ劇場あたりでやらないのかなあ・・・?Zsoltiの磔シーンはちょっと心配だけど(腹の肉的な意味で)・・・。

はあ、もう何度でも四季版を見たいけど、四季以外のJCSも見てみたいなあ・・・。

ドレスデンが世界遺産から抹消・・・! 

なんとまあ・・・。
指定されてからまだ5年くらいしか経ってないのに。

ドレスデンは私にとって、2ヶ月という短い間だけど、とても意義深い時間を過ごした街。特に冬のドレスデンの荘厳な美しさは世界遺産にふさわしいものだと感じた。

抹消の理由は、「景観を損なう橋の建設」だという。
ドレスデンの渋滞は酷い。夕方だと徒歩20分のところがバスで30分かかることもある。
もう一つ橋があれば、という市民の要望は切実なものだろう。
が、ユネスコはそれに「世界遺産からの抹消」という圧力をかけた。

結局住民投票で橋が架けられる、抹消されることになったのだが・・・。
最近、「世界遺産」というものに疑問を感じることがある。
(意義も認めるが)
確かに、文化や自然を守っていくには規制も必要だが、
文化の場合は、やや複雑だ。
今、世界遺産としてある「伝統的な景観」も
作られた当時はそれこそ「景観を損なう」新しいものだったかもしれない。

たとえば、今世界遺産に指定されているブダペストの市街地には、鎖橋は欠かせない。
だが、当時の、ドナウに橋が欲しいという、セーチェニ始め多くの人の思いがあの橋を作り、あの景色を作ったのだ。

ドレスデンの人々が作ろうとしている橋がどのようなものかはよくわからないが、
ドレスデンの人々にとって本当に必要なものとして作るのなら、それも併せてドレスデンの新しい魅力になるのではないだろうか。もちろん、街を愛する人が、街のことを思って作るものであることが前提だが。

ちなみに、私は京都駅ビルが好きだ。
夕方に大階段で風に吹かれるのが大好きだ。
世界遺産の古都のイメージにそぐわない、前衛的なデザインで多方面から非難の声が上がったが、
京都を、外国人がイメージするような枠組みに押し込めないで欲しいと思う。
伝統と前衛が同居しているところに、京都の魅力があると思う。
因習的だけど自由な街だ。歴史地区と駅ビルのコントラストは実に京都らしい。
京都に生まれ育った者としてはそう思う。

ドレスデンの新しい橋が、「景観を壊す」ものではなく、街に新たな活気と彩りを添えるものになることを祈る。

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甲骨文字の漢字ドリル♪ 

古代文字練習帳古代文字練習帳
(2008/07)
文字文化研究所

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普通の漢字ドリルである。文字があって、書き順があって、読み方があって、なぞって練習するための薄い字まである。ただ、その文字が甲骨文字であるという以外は。

白川静が亡くなってしばらくになるが、彼が切り開いた漢字の世界に魅せられ続けている人は今も多いようだ。宮城谷昌光のように、漢字からイメージをふくらませて小説を書いている人もいる。

しかし、やはり何となく遠い感じもする。やはり、これらは甲羅や骨に刻まれたもので、我々にとって身近な「書く」という行為の対象ではないからだ。

だが敢えて、甲骨文字や金文を「書く文字」にしてみようというのが本書の試みだ。常用漢字の中から、甲骨文字や金文の存在するものを877字選んで、漢字ドリルのように仕上げてある。本来、書き順や画数などははっきりしていないが、便宜的につけられていて親切である。

本来の使われ方とは違うのだろうけど、『字統』や『字訓』を見ているだけでは遠かった古代文字の世界がぐっと近くなるような感じがする。何かのデザインとしても使えそうだ。

ちなみに、古代文字の練習帳(?)系統としては、白水社からこんなものが出ている。
楔形文字を書いてみよう読んでみよう―古代メソポタミアへの招待楔形文字を書いてみよう読んでみよう―古代メソポタミアへの招待
(2006/03)
池田 潤

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ホームセンターや文具店などで売っている粘土と木の棒を使って楔形文字を練習するための指南書(!)だ。(
アッカド語の入門書でもあるんだけどね・・・・)買ってみたけど、粘土をこねるのが面倒で挫折。でも、見ているだけでもおもしろい。

上記漢字ドリルは、骨とか甲羅とかを用意しなくてもいいので、ずいぶんお手軽だ。

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落合尚之『罪と罰』:換骨奪胎することの面白さ 

翻案ものの面白さは、歴史小説の面白さに似ている。
オリジナル(史実)をいかにふくらませ、壊し、再構築するか。

本書は、舞台を21世紀の日本に移した、『罪と罰』。
罪と罰 1 (アクションコミックス)罪と罰 1 (アクションコミックス)
(2007/07/03)
落合 尚之

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そんなに期待していなかったが、いや、すごい。
大幅に換骨奪胎しているのに、根本的な思想の部分が残っている。

主人公ラスコーリニコフに対応するのが引きこもり気味の大学生、裁弥勒(たち みろく)。
「踏み越える」ために金貸し老婆アリョーナならぬ、売春組織の親玉女子高生馬場光の殺害を計画する。光の「害虫度」は、はっきりいってアリョーナ以上だ。老婆の義妹で「いつも妊娠している」リザヴェータに対応するのは、光の同級生、島津里沙。光に売春を強要されながらも逆らうことのできない少女だ。原作にはない弥勒と里沙の関わりがクローズアップされるにつれて、楽しくも不安になる。展開が気になる、でも原作のもつ「思想」を壊しはしないか、と。様々ないきさつはあったものの、里沙と弥勒の関係は「原作通り」に展開する。一番大きなところで。

そこから、判事との間の虚々実々の駆け引きが展開するのかと思いきや、「首藤魁」なる男をめぐる回想が続く。首藤・・・・スヴィドリガイロフ!

ラスコーリニコフの妹に迫る、悪魔的な人間、スヴィドリガイロフは彼の魂の父親とも、もう一人の主人公とも評価される人物だ。初読では、彼の存在意義や根本思想が掴めない読者が多いのではないだろうか。というか、3回くらい読んでもやはり謎だらけな男だ。

「首藤」という名前が明かされる前から、彼は弥勒の中で父とシンクロする存在として現れる。嫌悪しながらも惹かれて已まない存在として。原作でも実は魅力的という設定なのだが、マンガや翻案の中でこれだけスヴィドリガイロフが魅力的に描かれているのは初めてだ。亀山郁夫は、ただ一人、「踏み越えることができた人間」と言っているが、このマンガの中でも、「草食動物でありながら自然の摂理をひっくりかえして肉食動物になった」存在だ。

「この世は地獄だ。人間の欲が地獄を招く。これは世界の必然だ。欲望は生の本能そのものだから。欲と欲が絡み合い、強者が弱者を獲って喰らう。猥雑で残酷で、だから世界は美しい」

「欲望を肯定しろ 地獄こそが楽園だ」

裁弥勒は、彼のこうした言葉に導かれるように「踏み越える」ことを目指す。
このあたりは原作とは全く異なる。
賛否両論のありそうなところだが、原作に忠実でなくても、原作からインスピレーションを得た作品としては、非常に魅力的だと思う。最近マンガであらすじを読むというようなシリーズが売れているようだが、ああいうのは邪道だと思う。神は細部に宿る。あらすじでは読んだことにはならない。

だが、独自の作品世界があれば、それでいいと思う。

このマンガは5巻まで出ていて、まだまだ展開が楽しみだ。5巻では酔っぱらいマルメラードフと娘で娼婦のソーニャに当たる人物が登場するが、これまた衝撃的な換骨奪胎がされている。

秋くらいには新刊が出るのだろうか。とても気になる。

それから、もう一度原作のスヴィドリガイロフをじっくり観察してみたくなった。


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古代ハンガリー文字 

最近、こんな本を買った。

世界の文字の図典 普及版世界の文字の図典 普及版
(2009/05)
世界の文字研究会

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文字通り、古今東西の文字の大図鑑。
今は使われていない文字も含め、世界のあらゆる文字を見ることができる。

それだけ載っているので、一つ一つの文字に関してはそこまで専門的な感じではないし、その文字を使う言語の文法などについては全く触れられていないが、とにかく、多種多様な文字が並んでいる姿には圧巻。こんな文字があるのか、とわくわくする。

漢字は甲骨文、金文に始まる様々な書体が載っているだけでなく、発音も中古音・現代音・広東音・ヴェトナム音・朝鮮音・日本音が並べて紹介されていて、これだけでも価値がある。

日本の「神代文字」のように存在の怪しいものまで紹介されているのも愛嬌。

ここで初めて存在を知ったのが「ハンガリー=ルーネ文字」。キリスト教化以前のハンガリーで使われていた文字で、北欧のルーネ文字(ルーン文字)と形が似ていることからこう呼ばれる。しかし、ルーネ文字とは関係がなく、突厥文字の流れを汲むものらしい。突厥か〜〜〜!最近テュルク系言語(トルコ語とかアゼルバイジャン語とか)に興味があるので、突厥(テュルク)とか聞くとワクワクしてしまう。

この文字に関してはこちらを参照。ロヴァーシュ文字という名前で紹介されている。ハンガリー王国中心部ではローマ字の普及で使われなくなったが、トランシルヴァニアでは十九世紀まで(!)使われていたらしい。

そうそう、6月のアジア語楽紀行はトルコ語。
これで初めてトルコ語と接したけど、結構ハンガリー語と似ているところがあって、何だかやりやすそうだ。日本語と似ているとも言える。ハンガリー語やトルコ語に見られる特徴的な現象といえば、母音調和。接尾語をつける時に、前の母音の音に引きずられて音が変わるというやつだ。

ハンガリー語で具体的に言うと、「〜の中で」を示す接尾語「-ban」は前の母音がa,o,uならbanだが、e,ü,öなどの場合はbenに変わる。似たようなことがトルコ語にもあるらしい。トルコ語の本(『CDエクスプレストルコ語)を見ていたら、これは平安時代以前の日本語にもあったという。今でも見られるものだと、「酒sake」+「屋ya」が普通ならsakeyaとなるところだが、母音調和により真ん中の音が変化してsakayaになっている、など。そっか!日本語も母音調和があったのか・・・!何か妙に感動。

だからって安易に「日本語もハンガリー語もトルコ語もウラル=アルタイ語族」で仲間、というのはどうかと思うが。(ウラル=アルタイ語族というのは、現在では学術的にほぼ否定されているらしい)

↓トルコ語、ちゃんと勉強するのはしんどいけど、雰囲気は知りたいな、という方にお薦めです。5分×12回を2ヶ月で4回再放送します。
次のスタートは6月30日。
興味のある方はどうぞ〜〜〜。
NHKテレビアジア語楽紀行/旅するトルコ語 [2009年6月 (語学シリーズ)NHKテレビアジア語楽紀行/旅するトルコ語 [2009年6月 (語学シリーズ)
(2009/05)
不明

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似たような感じで「ヨーロッパ語楽紀行」を作ってくれないかなあ。。。

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ロシア映画『こねこ』 

こねこ [DVD]こねこ [DVD]
(2002/10/25)
アンドレイ・クズネツォフ

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友達が熱くプッシュしてみたもんだから即刻買ってしまった。
猫が主役のロシア映画。猫好きでロシア好きだもの。

モスクワの音楽家一家に飼われることになった子猫のチグラーシャ。
誤って窓からトラックに転落。怖くて降りられないまま、トラックは動き出す・・・。

見知らぬ土地での冒険を経て、チグラーシャが無事に音楽家の家に帰ってくる・・・という子供向けのアニメなんかにもありそうなありふれた話だが、普通じゃないのが、チグラーシャが途中で出会うフェージンという男と、その家の猫たち。

日雇い労働者のフェージンを演じるのは、世界一の猫遣いとして名高いアンドレイ・クズネツォフ。猫遣いって何!?と思われるかもしれないが、ロシアは猫のサーカスで有名な国である。ここで登場する猫はクズネツォフ・ファミリーの猫たちらしい。

鳥や犬に怯えながら不安な夜を過ごすチグラーシャ。チグラーシャを助けるフェージン一家のボス猫ワーシャ。二本足でジャンプする芸達者なジンジン。サギ師の才能がありそうなペルシャ猫シャフ・・・個性的な猫が次々に登場するが、印象的な行動をとる割には自然で違和感がない。クズネツォフ演じるフェージンのことが本当に好きそうだ。何気ないシーンだが、フェージンと一緒に猫たちがテレビをじっと見ているところが、とてもよかった。きっと猫たちは、テレビの中身なんかわからないし、興味はないんだろうけど、ご主人様が楽しそうに見てるから気になって見てしまうんだろう。猫に芸をさせるというのは、猫の好奇心を狙ったところに向けさせることで可能になるんではないだろうか?

とにかく、フェージン家が魅力的。それに尽きる。正直言うと、何故チグラーシャが音楽家一家のところに帰って行くのかはよくわからない。もちろん、猫は自分の「家族」となった人間を忘れはしない。私の家でも、引っ越しをしたときに、猫が前の家ではなく、私たち家族についてきたことに感動した。が、映画を見ている感じ、チグラーシャのしぐさや表情は音楽家一家よりも、フェージンとの絆を感じさせるんだな・・・。

それだけ、クズネツォフ演じるフェージンは魅力的。といっても、人間視点ではなく、猫視点で魅力的な感じ。人間社会の規範にとらわれず、猫と気ままに生きる・・・というような、観念的なレベルではなく、何か、猫を引きつけるフェロモンのようなものが出ている。・・・ってそれを感じ取ってしまう私は何者なんだろう(苦笑)。

もうちょっと、フェージンという人間を中心に据えた物語にしてもよかったのではないだろうか。もちろん、子供は音楽家一家の子供たちに共感するんだろうけど、この映画は別に子供受けを狙わなくてもいいような水準のものだ。

あまり、動物物の映画などを見る方ではないが、「可愛らしさ」で売るものには疑問を感じる。もちろん、かわいい方がいいのだが、動物を飼う、動物と生きるということを「かわいい」ということだけで軽々しく決める人間があまりに多くいることには苦々しく思う。

「いつか死ぬ、別れがくる」、ここまでもわかっている人が多いと思うが、動物と一緒に生きて、一番つらく、絆が問われるのは死よりも「老い」だと思う。可愛らしく猫じゃらしにじゃれることもない、寝たり起きたりしながら、時々粗相をする。毛はバサバサ、目にはヤニがたまってくる。老いというものを無慈悲に見せつける存在となる。チグラーシャがそうなったとき、この音楽家一家はどう向き合うのだろう?本当言うと、そういうところが見てみたい。子猫がかわいいのは当たり前じゃないか。愛玩ではない絆を見せてほしい。

クズネツォフ・ファミリーなら、そういう映画も撮れそうなのになあ・・・などと思ったりもした。とにかく、クズネトォフと猫が素晴らしい。ホームドラマ以上の可能性を秘めているのに、ホームドラマっぽく収まってしまったのが惜しい。

亀山郁夫『『罪と罰』ノート』 

・・・何かドストエフスキーのことばかり書いているような気がしますが、別にそれ以外読んでいないというわけではありません(苦笑)。

最近出たこの本を読んでみた。

『罪と罰』ノート (平凡社新書 458)『罪と罰』ノート (平凡社新書 458)
(2009/05/16)
亀山 郁夫

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『カラマーゾフの兄弟』に続き、『罪と罰』の新訳に取りかかっている亀山郁夫。もうすぐ、『罪と罰』の第三巻が出て完結するはずだ。本書は、翻訳の中で考えたことを綴ったもの。

亀山訳『罪と罰』はまだ読んでいないので、何とも言えないが、聞いている感じだと、『カラマーゾフの兄弟』同様、流れるように読みやすい訳のようだ。

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
(2008/10/09)
フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー

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『ノート』の方は、『罪と罰』の舞台となる、1865−66年のペテルブルクのことや、ドストエフスキーの伝記的な部分からなる「序論」と、『罪と罰』を1章ずつ読み解いていく「本論」、そして『罪と罰』のエピローグの読み解きと、本書自体のエピローグを兼ねた「エピローグ」からなる。

『カラマーゾフの兄弟』の時にも、亀山氏は作品が「象徴層」「自伝層」「物語層」の3層から成ると主張していた(『カラマーゾフの兄弟5:エピローグ別巻』参照)が、どうやら、『罪と罰』にもこの「自伝層」の存在を強く感じているようだ。(本書でははっきりとこういう言葉は使っていないが)この「自伝層」はストーリーを追っていく時には邪魔にすら感じるが、再読、再々読の際には、行間に見え隠れするドストエフスキーを追っていくことが快感になってくる。最近読み終わったところなのに、また行間に作者を追いたくなった。亀山訳が完結したらまた読んでみようか。

それから、印象に残ったのが、

「『罪と罰』の理解は神を信じる立場と信じない立場では百八十度異なる」

という亀山氏のあとがきに見られる感想だ。本書では、『罪と罰』をラスコーリニコフの視点を通した「意志の書」として、神の視点を通して現れる「運命の書」として読み解いている。

細部は本論を見ていただきたいが、ドストエフスキーの構成の見事さに感心すべきか、亀山の解釈の見事さに感心すべきか、難しいところである。

ドストエフスキーの限らず、神を信じないものにジイドの『狭き門』がわかるか、とも言えるかもしれない。だが、それ以上にドストエフスキーの作品には「自伝的ディテール」があまりに多い。亀山は『罪と罰』の中に、神と不信の間で「引き裂かれたもの」としてある作者の姿を見いだしている。この読みは、やはり神と不信の問題に悩まされた私には大変おもしろく感じた。しかし、神と不信の間で引き裂かれる経験をすることなく生きている多くの日本人には理解しがたい感覚ではないだろうか・・・。

というか、何故今の日本でこれほどドストエフスキーが流行っているのかが不思議だ。

もちろん、ドストエフスキーの作品は様々な読み方が可能な重層性を持っているから、と言えるのだろうけど・・・。

どうでもいいが、本書を読んでいて、ラスコーリニコフが老婆を殺害した日が私の誕生日であることが判明。ま、ロシア暦だし違うけどねえ・・・。

千野栄一『外国語上達法』を応用する 

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)
(1986/01)
千野 栄一

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とても懐かしい本を再読。
2002年に亡くなった言語学者(チェコ語が専門)、千野栄一の『外国語上達法』。
中学か高校の時に読んで、感銘を受けた。
今でも、語学に行き詰まると時々読み直す。
やさしい言葉で書かれているが、多くの外国語をマスターしてきたからこそ言える、深さを感じる。

読み返してみて、自分の外国語学習のあり方を振り返ってみた。

著者はまず「目的と目標」を明らかにすることが必要だという。
目的とは、「何のためにその言葉を学ぶのか」、目標とは「どの程度その言葉ができるようになりたいか」である。そんなの当たり前に思うかもしれないが、意外にこの二つをはっきりさせることなく英語を学んでいる人が多いのではないか。

別に、すべての言語を同じようにできるようになる必要はない。時間は限られているのだから。語学教育で、読む・書く・聞く・話すのバランスが重んじられる今、時代錯誤に思われるかもしれないが、目的がはっきりしていたら、目標が「読むだけ」などの偏ったものになってもいいという著者の考え方には共感できる。そりゃ、全部できた方がいいだろうけど、それで目的がよくわからなくなるのは本末転倒だ。

私も英語とフランス語を学ぶ目的は「論文や研究書を読むこと」なので、会話などは今のところ後回しである。また、必要(=目的)が出てきたら目標も自ずから変わるだろう。ハンガリー語の場合は、サバイバルに会話は欠かせない。それから、手紙を書くというのが、そもそもの目的だったので、ほかの言語に比べてライティングに力を入れている。クロアチア語で同じことをする気はない。

それから、著者は外国語学習には「お金と時間」をかけることが不可欠だという。

これは部分的に賛成。
時間は当たり前だろう。時間を短縮する学習法はあっても、時間をかけない学習法はない。では、何故お金かというと、

「人間はそもそもケチであるので、お金を払うとそれをむだにすまい、という気持ちが起こり、その時間がむだにならないように予習・復習をする」

とのこと。
私もこれを実践して、留学生に1時間3000円払って中国語学んだことがある。当時、私の働いていた塾の時給より遙かに高い。効果はあった。間違いなく。

これは人間のケチくささという「弱さ」を逆手にとった方法だ。
が、他にも利用可能な「弱さ」がある。

それは、「虚栄心」。まあ、見栄だ。
私は、お金をかける代わりに「○○語を勉強している」といろんな人に吹聴することにした。性格にもよると思うが、私の場合、これで挫折したらかっこ悪いという気持ちが働くので、いいプレッシャーになる。ただし、吹聴の仕方も「ハンガリー語をマスターする」などあまりにも漠然としていると「まあどうせ無理やしいっか」となってしまうので、具体的かつ短期的に実現可能な「目標」にする。「半年間はラジオロシア語講座を聞く」とか「ハンガリー語で毎日日記を書く」など。

結構効果あり。三日坊主が直った。
私流に言い換えると、大事なのは「お金をかける」ことではなく、「自分にプレッシャーをかけること」。

それから、覚えるべきものは「文法」と「語彙」だという。

当たり前過ぎるんだけどね、以外にこれをすっ飛ばそうとしている人が多いのに驚く。文法や語彙を身につけるための苦痛を軽減する教材はあっても、それらを身につけずに言葉が身につく教材なんてあり得ない。

著者は具体的には、1000の単語を覚えるべきだと言う。この1000語というのは、どんな状況でも欠かせない、その言葉の基本となる1000語であって、何でもいいわけではない。頻出度のデータを活用して書いて確実に覚える。

ここからは私の実践例。多くの言語は1000語〜2000語くらいの基本単語をまとめた単語帳があるのでそれを利用すればいい。昔風と言われるかもしれないが、これが有効であることは自分の経験からして間違いない。で、どの段階でどんな単語帳を使うかだが、私は初級文法の教科書を一通り終えてからがいいのではないかと思う。初級文法を終えていなければ、単語帳に載っている例文を構造的に理解できないということもあるし、あまりにも知らない単語ばかりでしんどくなってしまうからだ。

私は1年間大学でフランス語の初級文法(←京大フランス語教室が作っている教科書で)を学んだ後、『朝倉フランス基本単語集』を使った。
新版 朝倉フランス基本単語集新版 朝倉フランス基本単語集
(1988/05)
朝倉 季雄

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最近はこんなに明るい雰囲気の装丁になっているが、以前は「いかにも単語帳」という雰囲気だった。中身はシンプルにアルファベット順に単語が並んでいる。最重要単語は赤で示してあるので、1周目はこれを全部覚える。家や教室で何度も書き、乗り物のなかで眺めて復習した。2周目以降、全部覚えるように努力する。これを毎日繰り返して何周かすると、だいたいこれに載っている2400語は覚えられた。すると、フランス語の本を読むのが急に楽になった。つまり、この本の2400語の選択は適切だったわけだ。今の若い人は単語集に向かいあうのを嫌う風潮が強いが、急がば回れ、だ。やみくもにいろいろやろうとするよりも、2000語とは言わないが、1000語くらい覚えてしまった方が効率がいいことは間違いない。

私は楽をするためなら努力は惜しまない。だから、単語帳を最初から最後まで覚える。


さて、ハンガリー語の場合、まずこの本を最初から最後までやりと通して、可能な限り単語を覚えた。
ハンガリー語の入門ハンガリー語の入門
(2001/07)
早稲田 みか

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で、本を読もうと試みたんだが、わからない単語が多すぎて、疲れた。やはり問題は語彙か。もちろん、出てくる単語を片っ端から覚えていくというのもありだが、多分1000〜2000語を気合いで覚えた方が効率がいいだろうと判断。

そういうわけで、こちらを購入。アルファベット順に1500語が並ぶ、古典的な単語集だ。上記の本や他の入門書、ミュージカルの歌詞などで覚えて単語のおかげで、半分近くはわかる。これくらいなら残りは何とかなる。
ハンガリー語基礎1500語ハンガリー語基礎1500語
(1984/12)
不明

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大学書林のこのシリーズでは『ポーランド語基礎1500語』を持っているが、ハンガリー語版は厚さがその倍くらいある。一つ一つの単語に例文が載っているからだ。これはありがたい。あとは、フランス語の時のように覚えればいい。最後までやっていないので、この1500語がどれくらいの意味を持つのかはよくわからないが、見た感じ、どれも知っておかなければ不便な単語だ。

しかし、見た感じ何とも素っ気ない単語集なので、いろいろ書き込んで賑やかにすることにした。特に覚えたい意味や表現に赤線を引く、余白に辞書で調べた例文を書き込む・・・など。達成感を感じる。とりあえず、1日最低1ページ覚える(努力をする)ことにしよう。文法編を別にすると209ページか・・・。よし、年内に何とかしよう。

・・・と書いて自分にプレッシャーをかけるのが一番の狙い(笑)。

千野氏は、こうした基本単語は一気に覚えてしまうのがいいと言うのだが。多分そうかもしれない。でも、ここは自己流にやって成果を試してみよう。

主に「私の」外国語上達法になってしまったが、最後の千野氏の本から、好きな部分を引用。

「いくつもの言語を知れば知るだけ、その分だけ人間は大きくなる」

[春一人旅]ブタペスト夜の街歩き[完結] 

またしてもずいぶん時間がかかったけど、春の旅行記は今回で完結。

ブダペストの楽しみは夜の街歩き。って別にいかがわしいとこに行くわけではなく、建物や街の雰囲気を楽しみながらぶらぶらする。いいカメラを持つと一層楽しくなる。

10時半頃。オクトゴンで市電を待つ人々。
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リスト広場の向い。詩人ヨーカイ・モールの像。
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Király utcaの停留所。後ろに見える建物とか、静かだけど華やかで荘厳な雰囲気が好き。
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市電・地下鉄を乗り継いでヴルシュマルティ広場へ。昼間入り浸ったカフェ・ジェルボー。
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王宮を見ながら鎖橋の方へ。・・・帰りには地下鉄なくなってるな・・・。
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ペスト側から見た鎖橋。
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何だか足が痛くなってきたが、ここまで来て渡らないという選択肢はない。
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ブダ側から見た王宮。
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この角度からみる鎖橋は見事。
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・・・もうおそいから戻ろう・・・。長いんだよなあ、ドナウ・・・。
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ペスト側、橋の下から見る鎖橋もきれいなんだな・・・。
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オペレッタ劇場のある通りを東にいったこころにあるバー兼レストラン、フランツ・ヨーゼフ。残念ながら店じまいしているところだったが、写真だけでもとらせてもらった。なかなかいい感じだ。
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春のブダペスト、夏とも冬とも違った魅力が一杯だった。時間のある人はスプリングフェスティバルのこの時期、おすすめです!
次回は夏になるかな。